介護の仕事は誰にでもできる仕事とか、専門性の低い仕事だって言われますよね。たしかに、家族が介護をしている家もたくさんあるので、介護職しかできないわけじゃないと言われたら、それまでなんですけど。介護職の専門性ってなんでしょうか?
この疑問を解決していきます。
この記事の内容
- 介護職の専門性が低いと思われている理由
- 介護職の専門は高齢者の自立支援です(専門性あり!)
介護職は誰にでもできる仕事と言われることがあります。
世間の「大変なお仕事だね」という言葉の裏には、専門的で難しい仕事、という意味ではなく、きつい、汚い、給料安い、から大変だね、という意味での場合がほとんどでしょう。
でも、介護職には専門性があります。
その専門性はこれからの日本では欠かせないものです。
それはずばり「介護過程にの展開に基づいた自立支援」です。
なんだか、専門用語を使うだけで専門性が増した感がありません?(笑)
介護職はどうして専門性が低いと言われるのか
さて、介護職は「専門性がない」とか「専門性が低い仕事」という見方や評価はどこからきているのでしょうか?
その理由としては次の2点です。
- 元々シャドウワークの一部だったから
- 専門性のない「介助」しか見ていないから
掘り下げていきます
元々シャドウワークの一部だったから
昔の日本は祖父母、父母、子供が同居する、三世帯家族が中心でした。
その中での生活環境は、父が仕事でお金を稼ぎ、母が祖父母の分も含めた家事を行う、というのが一般的だったのです。
祖父母が年老いて介護が必要になった場合、その役割を担っていたのは、母、つまりお嫁さんです。
家事や介護は給料が発生せず、日の目を見る仕事ではないので、影の仕事、シャドウワークと表現されます。
つまり、昔の日本では、自宅で嫁が家事や介護をすることが当たり前とされていたのです。
時は流れて社会は変化し、三世帯家族が減って核家族化が中心となった結果、自宅で介護ができる時代ではなくなりつつあります。
しかし、元々シャドウワークの一部だったということから、介護は専門的な資格を持たない家族でもできる行為、という受け取り方を現在でもされているのです。
専門性がないのは介助しか見ていないから
しかし、シャドウワークとして行っている介護と、介護保険サービスとして提供している介護は違います。
同じものとして扱っている時点で間違っているのです。
なぜなら、シャドウワークとしての介護は、介護ではなく「お世話」だからです。
一方で、介護保険サービスの介護は、自立支援を行う本来の「介護」です。
たとえば、手が悪くて自分で食事ができない高齢者に対して、口まで食事を運ぶとか、トイレでズボンの上げ下ろしができないので、お手伝いする、というのは「介助」に当たります。(厳密に言うと違いますが、それはあとで説明します)
「専門性がない」と世間が言ってるのは「介助」の部分だけを切り取って「介護」と考えているからです。
介護職の専門は高齢者の自立支援
介護職に専門性が低いと言われる理由は、間違いだということを書いてきました。
では、介護職の専門性とはどのようなことをさすのでしょうか。
それを説明するために次の二点をあげます。
- 介護と介助の違いとは
- 介護過程の展開に基づいた自立支援の介護=専門性
では掘り下げていきます。
介護と介助の違いとは
介護と介助の違いはなんでしょうか?
まず、介護とは自立支援をすることです。
具体的に書くと、病気や怪我によって日常生活に支障が生まれ、自分でできなくなった高齢者に対して、次のようなことを考えていきます。
- 今できることはなにか(残存能力)
- 支援が必要なのはなにか
- どこまで回復する可能性があるか
- どうすれば回復するか
- もっとも能力を活用できる介助方法は?
- 住んでいる建物の状況や家族の支援の有無などの生活境は?
- もっと能力を活用できる環境が作れないか?
- 本人はどんな生活を望んでいるか
- 家族はどんな生活を望んでいるか
これらを把握していくことを、アセスメントと言います。
アセスメントも介護の一部になります。
そして、これをもとに計画を立てていくのです。
整理すると次のようになります。
- 高齢者の心身の状況や生活環境、これから求める生活を把握する
- 求める生活を実現するために、目標とそれに向けた具体的な行動を計画する
- 計画に基づいて、支援を実施
- 目標に向けて進んでいるかをチェック
この一連の流れを介護過程の展開と言います。
介助はアセスメントと同様、介護過程の展開の中の一部であり、それら全体を踏まえて介護と言います。
自立支援に向けて進めていく全体を「介護」と言い、進めていく中で必要な内容の一部が「介助」ということになります。
介護過程の展開に基づいた自立支援の介護=専門性
つまり、介護過程の展開なくして、介護の専門性は成立しないということになります。
介護というのは自立支援をすることであり、お世話をすることではないのです。
ただお世話をするだけでは、本人が持っている残存能力を奪うことになり、ますます介助なしでは生活できなくなっていきます。
介護職であるからには、高齢者のできることを増やしたり、身体能力が回復しないまでも維持したり、といったことができなければなりません。
そして、その過程で精神的な意欲を引き出すことが求められるのです。
介護の仕事は全体の技術の中でも、コミュニケーション技術が80%を占めると言われています。
それほどコミュニケーション技術が重要だということです。
なぜならば、生きていく意欲や自立に向けて進んで行く意欲を持ってもらう支援が必要だからです。
たとえば、十分歩くことができる身体能力のあるおじいさんがいたとします。
自分で歩くことができるけれど、脳梗塞を患った後遺症で麻痺が残り、ショックでなにもしたくない、という状況に陥っておられます。
この方に「ひとりで歩けるんだから、歩いてください」と言ったところで、歩いてくれるわけがありません。
コミュニケーション技術を駆使して、おじいさんがもう一度元気に生活しよう!と思えるように、意欲を引き出していかなければならないのです。
意欲を引き出すために、自分できることをあえてお手伝いする場合もあります。
自分を大切に思ってくれる、してくれる人に対しては、応えたいという気持ちが芽生えますから。
これらの仕事が介護の専門職としての仕事になります。
現場でこれらが行われているのであれば、専門性のある本来の介護ができていると言えますし、そうではなくて、ただ単に日々の介助に追われているだけなら、それは本来の介護ができていない、つまり専門性のある介護をしていない、ということになります。
まとめ
介護職が専門的な仕事たる所以について書いてみました。
昔の家族介護と、現在における専門職の介護を混同されると、介護は専門性の低い、誰にでもできる仕事、ということになります。
しかし、実際の現場で本当に専門性のある介護が実践されているのか、疑問ではあります。
介護職自身が自分達の仕事の専門性をなくしているかもしれません。
提供している介護は、利用者の自立支援に向かっているでしょうか?
目の前の不都合を埋めるだけの、単なるお手伝いさんに成り下がっていないでしょうか?
現在、実際に介護職として働く私たちが、専門性を高めていく義務を負っているのだと思います。
日々の忙しい業務の中ではありますが、自分たちで専門性をないがしろにすることだけは止めましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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