以前の記事で「介護は自立支援である」と書きました。
これは、その時その時のお世話をするのではなく、一つ一つの行為に対しての支援が自立につながってなければいけないという意味です。
利用者さんに任せていたら時間がかかるから、お手伝いしちゃえ!ってのはもってのほかですね。
それをしてしまうと利用者さんの持っている能力を奪ってしまうと同時に、介護量を増やすことになってしまいます。
まさに本末転倒ってやつです。
利用者さんからは「親切ねぇ」なんて言葉をいただくかもしれませんが、実際のところはただの自己満足ですよね。
介護に必要な無意識を意識化する思考
では、具体的な動きとして考えてみたいと思います。
身体介助に置き換えた場合、例えば椅子から立ち上がる際、私たちはどのような身体の動きをしているでしょうか。
①足を膝より内側にひく
②頭を前方に傾けて体重移動する。
③足に力を入れて立ち上がる。
④その際の頭の動きは垂直に上に上がるのではなく弧を描くような動き。
①~④の動きをして人は立ち上がるんですね。
しか~し、じゃあ立ち上がる時にいちいち頭で考えながら立ち上がりの動作をしますか?
「さぁ立ち上がるぞ」ってまずは足を内側に引いて~なんて考えません。
無意識のうちに一連の動作をしてるんですよ。
でも利用者さんの自立支援を促した介助というのは、立ち上がりの動きの中でできるところ、できないところを把握して、できないところを支援する、ということが求められますから、人間の体の使い方を知っておく必要があるのです。
そうするためにも普段の生活の中で無意識にしていることを意識化していく必要があるんですね。
そう考えたら何も難しいことではなくて、私たちと同じ動きを支援する方法で介助すればよいということになります。
統一すべきは利用者の現有能力への理解
さて、その支援に関してですが、よくチームケアにおいては「介助方法の統一が重要だ」なんてことを言いますよね。
もちろん大切なことなんですが、これをはき違えると大変困ったことになるんですねぇ。
再び立ち上がりの介助を例にすると、同じ利用者さんに対して支援する場合、老若男女どのスタッフも同じ方法で介助をしなければならない、となりがちですが、そんなことはないんです。
これは間違った統一方法なんですね。
だって介助者の体格や力が違うわけですから介助方法が変わってきてしかるべきなんです。
ではなにを統一しなければならないのか。
それは利用者さんに使ってもらう能力なんですよ。
利用者さんの能力は介助者が誰であっても変わるわけではありません。
Aさんが介助するときは利用者さんの足の力がすごく強くなって、Bさんが介助するときは全然力がなくなる、っていうことはあり得ないんですよ。
ここで起こっているのは、Aさんはきちんと利用者さんの能力を使えるように支援していて、Bさんはそれができていないってことですよね。
つまり利用者さんの能力をフルに使えるように支援する、というのが統一すべきところなんですよね
求められているのは介助のやり方を統一することではない、ということですね。
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